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歌三線 伝説の始祖、赤犬子

伝説の人物である赤犬子は、沖縄最古の歌集「おもろさうし」で伝えられているように、歌三線の始祖として親しまれており、今でも多数の伝承が残されています。 独特な名前もその一つで、昔、読谷の楚辺村にチラーという村一番の美女の子供が赤犬子と言われています。

生まれながらの美声と音楽の才能を発揮し、三線を考案したとされるエピソードとして、雨だれが滴れる「テントンテン」という音を聞き、棹はくばの葉の茎で、胴の部分は幹で、弦は馬のしっぽを使って三線を作ったとされています。
また「おもろさうし」の中には赤犬子が歌ったオモロが多くあり、それらの内容からその行動範囲は沖縄全域に及んでいたことがわかります。

さながら吟遊詩人のような赤犬子は、各地域を旅しながらその地の幸せや繁栄を、琉歌に三線の音色を付け歌った、今でも人々を引き付ける魅力的な伝説の人と言えるでしょう。

旅話の一つに、中城の安谷屋を旅する途中、喉が乾いた赤犬子が、通りかかった子供に「大根をくれないか?」と言うと、子供は持っていた大根を食べやすいように切って赤犬子に渡したという話があります。
「この子はきっと偉い人になるだろう」と赤犬子が言ったところ、その子は後の中城若松(玉城朝薫が作った組踊「執心鐘入」の主人公のモデル人物)になったと言われています。 ほか、北谷長老が登場する旅の話や、から麦•豆•粟等を沖縄中に広めた話が残されており、今日では琉球古典音楽の始祖、或は五穀豊穣の神としてその遺徳を讃えた祭りが毎年催されています。 さらに、毎年3月4日を「サンシンの日」と定め、当日の正午に読谷村楚辺にある「赤犬子宮」で三線演奏が始まり、夜の9時過ぎ迄。世界各地で演奏会が行われています。

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