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日本で初めて牛痘を用いた予防接種を行った医師、仲地紀仁

十八世紀末、泊村の医師の家系に生まれた仲地紀仁は中国と薩摩で医術を学び王府勤めの医師として活躍していた。彼は強い使命感を持った医師で最終的には国王の侍医にまで上り詰めた人物である。
当時高い致死率と強い感染力をもった恐ろしい病に天然痘があった。琉球にはまだ有効な治療法も予防法もなく王府と医師達を悩ませていた。一七九六年には英国のジェンナーが牛痘から作ったワクチンをもちいる画期的な牛痘接種法を確立していたが、琉球は医術と言えば漢方全盛の時代、日本も鎖国が続いていたためこの西洋の医術は伝わっていなかった。
一八四六年に来琉した英国の宣教師ベッテルハイムは、琉球に西洋医学を伝授しようとしたが王府はキリスト教布教を固く禁じていたため、彼を監視下に置き島民と接触させないようにした。しかし彼が種痘法を知っていると聞いた紀仁は、監視の目をくぐってベッテルハイムに会いに行き、海岸の洞窟で密かに教えを受けたという。禁忌を犯してでも習得する価値があるものだと彼は分かっていたのである。紀仁は教えられた通り雌牛の腫瘍からワクチンを作り、一八四八年に島民の子供に接種して予防を成功させた。その効用は王府も認めざるを得ないものであり、以後琉球の天然痘対策は劇的に進歩したのである。
紀仁は琉球で初めて西洋医学を理解し、その恩恵を広めた医師であった。

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