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戦に破れ、江戸に上った受難の王、尚寧王

尚寧王は第二尚氏王統で唯一、浦添尚家出身の王であった。死後も首里の玉陵(たまうどぅん)ではなく浦添ようどれに眠っている。

1609年、薩摩藩の島津氏は徳川家康の許しを得て琉球に攻め入った。島津軍三千に対し琉球も四千の兵を集め、港の 大砲も用いて応戦したものの、歴戦の島津兵に首里城を包囲され遂に降伏にした。 時の国王・尚寧は島津氏に伴われて江戸へ行き、大御所・家康と対面した。幕府は琉球に日明貿易の仲介役を期待していたため、尚寧を外国の王として丁重に遇し琉球王国の存続を約束したものの、同時に薩摩の琉球支配をも認めた。以後270年間琉球王国は日中両国の強い影響下で難しい国家運営を行いつつも、華々しい独自の文化を育てて行くこととなる。 尚寧王は琉球の大きな転換点で、国難を一身に受けとめた国王であった。

「よかてさめ兄弟 親がなし御側 我身や余所島の あらのひと粒」 尚寧王

江戸に向う道中、尚寧王の実弟・具志頭王子尚宏が病で急死してしまう。異国の地で支えを失った王の心痛は計り知れない。

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