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初めて琉球公式の使者として中国に渡る、泰期

時は14世紀後半。中国明王朝の初代皇帝・洪武帝(こうぶてい)は、対外政権として冊封・進貢策を取り、日本はもちろん、アジア・多国と交易を進めていた。
この政策は、招諭使・楊載(ようさい)を来琉させた際、琉球の中山王・察度(さっと)の元にも届き、明朝への朝貢を促した。

それに応じ、1372年、察度は弟・泰期を、琉球初の使節団・団長として中国に遣わした。こうして大交易時代の幕をあけた人物が泰期だ。
中国との交易は、唐旅と言われ、遠方への旅路は生命の保障の無い危険なものだったが、泰期はそれに臆することなく、五回にわたり、中国(明)と貿易を交わした。

後に東南アジアに及ぶ大交易による黄金時代を築き上げた泰期は、「商売の神様」として象徴され、現在では、残波岬の灯台近くに銅像が立てられている。 その銅像には、こう記されている。

『指をさし、向こうに見えるのは中国大陸。
たとえ残波の海が荒れていようとも、いざゆかん。
果報をもたらす夢の大陸へ。』

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