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政治に翻弄され続けた悲劇の王女、百度踏揚

第一尚氏王統末期の政局の混迷期に生きた百度踏揚は王統の命運とともに悲しく波瀾万丈な生涯を送った女性と伝えられている。
終焉に向う首里城では王位継承を巡る骨肉の争いが起きて、城を焼き、王族を何人か失ったのちに彼女の父・尚泰久(しょうたいきゅう)が王となった。

そして地方では勝連(かつれん)の若き首領・阿摩和利(あまわり)が王府の脅威となっていた。これを封じる為の政略結婚で彼女は勝連に嫁ぐのだが、ほどなく琉球史に残る争乱「護佐丸(ごさまる)・阿摩和利の乱]が勃発する。中城(なかぐすく)の忠臣・護佐丸は彼女の母方の祖父でもあったが、戦の結果両者とも王府軍に滅ぼされてしまった。争乱のなか百度踏揚は付き人の剣豪・鬼大城(うにうふぐすく)によって逃がされ、寡婦となったのちは鬼大城と再婚した。しかし、今度は政権が変わりかつての家臣・金丸(かなまる)が第一尚氏に変わって王座に就いたため、旧体制の遺臣・鬼大城もまた王府軍に滅ぼされることとなり、彼女は二度夫を失った。その後の彼女は兄たちが落ち延びていた玉城(たまぐすく)の地に身を寄せ、ひっそりと余生を送ったという

百度踏揚は本名ではなく最高神女としての神名であり「永遠に 気高い」という意味がある。王族女性には国の祭祀を司るという使命もあり、玉城の祭祀にも参加していたと伝わっている。彼女の墓からは高級神女の証である大きな金の簪が発見されている。

「百度踏揚や 君の踏揚や 遊ぶ 清らや 又 下の世の主の 思い子の君の」オモロ
オモロとは神事の際 神舞を踊りながら歌われた古いうた。下の世の主とは南部の按司(あじ)達のことで、このオモロは百度踏揚を讃え上げる内容になっている。

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