時代の流れを見極め 宮古の発展を導いた英雄、仲宗根豊見親
仲宗根豊見親は十五世紀後半から十六世紀初頭にかけ宮古を治めた人物です。「豊見親」とは宮古の尊称で「名高い」といった意味になります。
彼は尚円王より正式に「宮古頭職」に任じられました。
仲宗根は強大な琉球王府と宮古をはじめとする先島諸島の力関係を見極め、積極的に王府に従属することで宮古の存続を図りました。
彼は宮古が行っていた王府への朝貢を八重山にも一部負担するよう求めます。
これに対して石垣島のオヤケアカハチが反発したためその成敗を王府に願い出ました。
一五〇〇年、王府から派遣された三〇〇〇人の兵を率いて仲宗根はアカハチを討ち取ります。
一五二二年には、王府に反旗を翻した与那国島の鬼虎も滅ぼし先島の安定に寄与しました。
彼は地元で井戸掘り事業を行ったり下地橋道の築造を行うなどして人々の暮らしの向上に尽力しました。
彼の名は宮古を中心に、現在も誇り高く語り継がれています。