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世界遺産の石門を建造、西塘

西塘は竹富島の歴史上、最も早くに名を残した人物で、生没年はおろか全生涯、全事跡についても未だ明らかにされておりません。
しかし、琉球列島が首里王府によって政治的に統一されつつあった15世紀末から16世紀前半を生きた人物であることは確かなようです。

1500年、王府軍の八重山侵略(オヤケアカハチの乱)に直面した西塘(おそらく10代後半~20代前半)は、王府軍の総大将・大里親方に聡明さを見出され、王都の首里に上りました。
西塘は首里の地で、三司官の家に仕え、言葉や文学のほか様々な学問を修め、中でも石工技術に長け、1519年には、首里城の園比屋武御嶽(ソノヒャンウタキ)の石門を建造したことで有名です。

彼は建造するにあたり、 園比屋武御嶽の神に積年の想いである帰郷を願い、無事石門を建造し帰郷することができたら、郷里の竹富島に勧請して祭ることを誓いました。
しかしながら、当時石工において西塘の名声は高く、以後25年間も王府に仕えます。 1544年 、彼は44年の滞在を経て念願の竹富島へと帰り蔵元を創建。八重山の行政を統括するとともに、国仲御嶽を創建して遥拝所とし、園比屋武御嶽での誓いを果たしました。
現在、竹富島には西塘御嶽があり、島の人々の守護神・豊作の神として祀られています。

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