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15世紀中盤から16世紀前半にかけて、首里城に君臨した女帝、宇喜也嘉

おぎやかは、第ニ尚王統の祖である尚円金丸の正室です。金丸が62才で世を去ったとき、おぎやかは、32才の女盛りで、愛児、尚真は13才を迎えていました。この時、おぎやかは我が子、尚真を王にするために策略をもちい、少年王の母后として琉球王国の権力を一手に握ります。

また、おぎやかは、当時、琉球各地の集落で神の代弁者を務めていた神女達を、王府の支配下の組織に作り替えます。「聞得大君(きこえおおきみ)」という、神女の最高位の神職をもうけ、長女を初代の聞得大君に任命します。

おぎやかは、長男を国王に、長女を神事を司る最高職にし、琉球国に政祭一致の基礎を作った人物と言えます。

おぎやかが存命中に、尚真に命じて造営させた玉陵の石碑文には「おぎやかの血を引く者だけが王陵に葬られることを許される…王陵に葬られる者、即ち、第二尚家の血筋を引く者以外は、王と認めない…背く者があれば、天に仰ぎ地に伏して祟りあるべし」と刻まれています。

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