第一尚氏王統 悲劇の武将、鬼大城
本名は、大城賢雄(おおぐすく けんゆう)。
1420年代頃、具志川市喜屋武城で、城主の子として誕生したと伝えられています。
幼くして父を亡くし、母と弟二人と共に、母の実家である知花城に移り住み、優れた武人として成長しました。
鬼大城の由来は『球陽』によると「その人となりや、忠義剛直にして武勇無比、骨格人と異なり、勢い狼虎(ろうこ)の如し、これによりて当時の人、鬼大城と呼ぶ」とあります。 後に、当時一帯を治めた越来城王子の尚泰久に仕え、王の即位後は、阿麻和利に嫁いだ王女・百度踏揚の従者となりました。
阿麻和利の叛意を知った鬼大城は、王女を背負って勝連を脱出し、見事首里城へ帰還します。阿麻和利が首里王府軍の大将として、護佐丸を滅ぼした直後のことでした。1458年、王から官軍大将を任された鬼大城は、勝連城を攻略しますが、激戦のため弟二人を失いました。しかし彼は女装して城内に忍び込み、阿麻和利を討ち取ったと言われています。 その後、百度踏揚を妻として迎えた鬼大城は、第二尚家の祖、尚円金丸のクーデターによって、第一尚氏と共に攻め滅ぼされたといわれています。