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最後の琉球国王、尚泰王

時は江戸末期、琉球に異国船が次々に訪れ開国を求めるなか、父王が夭折し、尚泰王はわずか4歳で即位した。5年後の1853年ついにペリー率いる黒船艦隊が来琉し、琉米修好条約を締結した。さらにペリーは浦賀へ向かい、日本は幕末の激動期へと突入する。

1879年、欧米列強を目指し近代化を進める明治政府は、17世紀より薩摩藩に従属する琉球を国家に組み込むため琉球処分を断行した。これにより450年余り続いた琉球王国は消滅し、沖縄県となった。
最後の王となった尚泰は侯爵に叙せられ、家族ともども東京への定住を命ぜられた。以後59歳で亡くなるまで東京麹町区の邸宅で暮らしたという。亡骸となってようやく帰郷を果たした尚泰王は、古式に則った盛大な葬儀で弔われ、王家の墓・玉陵(たまうどぅん)に今も眠っている。
「沖に漕ぎ出る いさり火や知らぬ 思ひ焦れゆる 蛍ともて」  尚泰王

次男・尚寅(しょういん)男爵と、四男・尚順(しょうじゅん)男爵は後に沖縄に戻り、多方面で活躍した。
尚家は現在も存続している。

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