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第一尚氏王統 最後の国王、尚徳王

尚泰久王の第三王子として1441年誕生。父王の薨去後、妾腹でありながら長兄・金橋王子を退け1461年に即位。

1466年、当時、前王に仕えていた金丸(後の第二尚氏王統初代国王)の反対を押し切り、喜界島(現在の奄美諸島にある島)へ遠征を計りました。
国王自ら陣頭指揮を執り、2000の兵を率いて、討伐を果たし、凱旋しています。

国王自ら軍を率いて戦に向かうのは、祖父・尚巴志王以来のことでした。
遠征の強行などの政策により、次第に重臣の信頼を失ったことが、死後の政変に繋がっていったと言われています。1469年、29歳の若さで急逝。

その死には謎が多く、死後のクーデター、さらに金丸の王位継承の経緯も交え、様々な伝承が残されています。

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