「万国津梁の鐘」を掲げ 王権の安定を目指した王、尚泰久
第六代琉球国王尚泰久が治めた時代は、三山統一がなされたとはいえ、未だ群雄たちの勢い覚めやらぬ時代でした。
一四五八年には王国をゆるがす内乱「護佐丸・阿摩和利の乱」が勃発します。
乱をおさめた泰久は首里王府の支配力を強化していきました。
泰久の時代、琉球の貿易事業は隆盛を極めます。
彼はその繁栄ぶりを「万国津梁の鐘」に刻み首里城に掲げました。
そこには「世界の架け橋」を自負する琉球王国の気概が高らかにうたわれています。
また、泰久は仏教に帰依し、琉球において初めて本格的な仏教の普及を推進した王としても知られています。