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エイサーの祖、袋中上人

磐城国(現在の福島県いわき市)生まれで、江戸時代前期の浄土宗の学僧。

子供時代は学問に秀で、浄土の道にはいった後も熱心に勉学に励み、諸国を巡り念仏の教えを極めました。
さらに、まだ見ぬ仏法を求め、上人51歳のとき中国(明王朝)に渡ることを決意。
しかし上陸を許されず、1603年琉球に漂着。
その後3年の滞在期間、彼は琉球での浄土宗布教に努めました。

時の琉球国、尚寧王は上人に深く帰依し、桂林寺(現那覇市松下町)を建立。
彼の活動は、これまでの難解な仏教に比べ、易行易修(ただ念ずることによって救われる)という教えを説いたことで、身近で親しみやすく、国王から一般民衆にいたるまで、身分を越え多くの琉球の人々に影響を与えました。 以後、民衆の教化、児童の教育、産業の振興へも力を尽し、『琉球神道記』五巻を著作。

また、沖縄の伝統芸能として今に伝わる「エイサー」は、精霊送りの時に行われる盆踊りがもとになっているとされ、その起源は彼が浄土念仏とともに伝えた念仏踊りにあると考えられ、「エイサーの祖」と考える人も多く見られます。 帰国後、全国に20数ヶ寺を再興及び建立。著書も多数残されています。

沖縄では、小禄に浄土宗沖縄別院袋中寺が建立され、現在も上人の威徳を伝えています。

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