琉球史上最も優れた王として名高い尚真王は 十三歳で王位に即いた。
その即位に関する不思議な逸話が史書「中山世鑑(ちゅざんせいかん)」に綴られている。
一四七六年、第二尚氏 初代国王・尚円(しょう えん)が亡くなった。
尚円王には久米中城王子(くめなかぐすくおうじ)という息子があったが、まだ幼いため討議の末 先王の弟・尚宣威(しょう せんい)が次の王に選ばれた。
尚宣威王が即位して数ヶ月後、王の就任を祝う祭儀が首里城で執り行われた。
神の声を伝える神女(のろ)達が祝福の神歌(おもろ)を王に捧げるというものである。
ここで神に認められれば国王への尊崇はいよいよ高まるのだ。
尚宣威王は玉座にすわり、甥の久米中城王子を脇に控えさせて神のお告げを待った。
やがて奥御殿から神女達が粛々と御庭(うなー)に現れ奉神門(ほうしんもん)の前に並んだ。
そこまでは旧例の通りだったのだがこの時なんと神女全員が玉座にくるりと背を向けてしまった。
只事ではない光景に尚宣威王をはじめその場の全ての人々が驚き、固唾(かたず)を呑む。
神女達は厳かに歌い始めた。
「首里にまします偉大な王の 愛し子の遊ぶお姿 踊るお姿の見事なことよ」
それは久米中城王子を讃える神歌であった。
尚宣威王はこれを聞き私に王たる資格はない。
私のような者が玉座を汚した事を天は咎めていらっしゃるのだ。
と言って、久米中城王子に玉座を譲り失意のまま隠遁したという。
久米中城王子はその年のうちに即位し、尚真王となった。