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『喜安日記』を著作、喜安

江戸時代前期の茶人。和泉国(大阪府)に生まれ、名は蕃元(ばんげん)。 幼少から聡明で、千利休の弟子である康印に師事し、茶の湯を教授されます。また和歌や漢詩に通じていました。

1600年、35歳で琉球に渡り、茶の師匠として尚寧王に仕えます。
1609年薩摩藩の島津氏による琉球侵攻では、捕虜となった王に付き従い、薩摩側との折衝役を務め、さらに江戸幕府の第2代征夷大将軍・徳川秀忠への拝謁のため、江戸へ同行しました。1611年の帰国後、御茶道職に任ぜられ、日本式の茶道を琉球に広める傍ら、度々薩摩へ渡り交渉に務めました。 尚豊王の時代、『喜安日記』を著作。

薩摩との開戦前から王の帰国までの二年半を、琉球側からみた唯一の史料として、今に残されています

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