(絵左下の文字)琉球統一の雄 其ノ弐 読谷山按司 護佐丸
護佐丸は、三山時代から第一尚王朝の時代に活躍した武将である。
山田城主の子で、武勇に優れた護佐丸は、琉球統一を目指す尚巴志王に重く用いられた。
北山討伐での武功が認められ北山監守となり、そののち王府の命で座喜味、中城に名城を築き要所を守った。
尚 巴志の没後も尚家に仕え、娘が尚 泰久王の妃になる程の重臣であった。
しかし、晩年の一四五八年「護佐丸 阿麻和利の乱」では謀反の疑いをかけられ、王府軍に攻められるも、抵抗せず自害して果てたと言われている。
三山統一の立役者であり、第一尚王朝の盛衰を見つめた忠臣 護佐丸は琉球第一の武将と呼ばれている。