(絵下の文字)十五世紀首里 中山門 尚巴志王は、中山国の王都を首里に定め、都造りを行った。
その一環として、一四二八年に建国門を創建した。
明国も「中山」の額字を送ってこれを祝ったので「中山門」と呼ばれた。
門は現在の首里高校角地で、首里の観音堂前の坂を登り詰めた所にあったが現存しない。
守礼門は第二の門として、中山門の約百年後に造られる事となる。
明国 冊封使行列 琉球は明との朝貢貿易で富を得ていたので、第一尚氏の歴代国王は明の冊封を受けた。
皇帝が琉球国王を承認する冊封の儀式は、皇帝の代理人である冊封使が来琉して執り行った。
冊封使の一行は、総勢三百0五百人で琉球を訪れ、那覇から首里城まで盛大に練り歩いた